にこにこにこむぎ。

比べたがり屋の世間に流され疲れたら、またおいで

担降りしました ①

夏に降りたくせに、冬を迎えようとしているこのタイミングで担降りブログというものを更新します。

担降り自体は決して初めてではありません。しかし担降りのたびに葛藤はあったし、それは自分の中だけではなくて環境だったり他の要因に関して苦しみ悩んだこともあります。
担降りのときに皆が言うセリフ「降りても嫌いになったわけではないので」。決まり文句ですが、ある種当たり前ではないかと思ってしまいます。中には嫌な部分が生まれてさようならをする方もいるかとは思うけど、大抵は担当の気持ちを追い越す人が現れてっていうパターンではないかなと。
そのため、降りても嫌いになったわけではないというのは事実ではあるけど、そっくりそのまま言ってしまうのはなんか気が引けるので、これを機に私のジャニヲタ人生を振り返ります。苦悩ふまえ、私の応援概念のようなもの。それをつづったあとにいまの顕嵐ちゃんへの気持ちや向き合い方について記述して、私のこの長い決意表明を締めくくろうと思います。
今回降りたことへのけじめと、今までの担降りを見つめて感じたことをここで吐き出せたらなと思っています。

わたしは長文傾向が甚だしいうえに、今回自分の中でのテーマが割と大きいものだったので、複数に分けてご紹介したいと思っています。
また、この文章夏に降りてすぐ書いているので、少々時系列や、文章構成上のずれが生じるようなつながりの悪い箇所がありますが、ご了承ください。


◎目次
1.はじめに ー 私のジャニヲタプロフィール
2.これまでのスタンスと揺らぎ
3.顕嵐ちゃんにハマるまで
4.顕嵐ちゃんを担当にするまで
5.これまでの担当から学ぶ私のスタンス
   ⑴玉森裕太くん担当時代
   ⑵嵐(櫻井翔くん・二宮和也くん)担当時代
   ⑶神山智洋くん担当時代
6.さいごに ー 顕嵐ちゃん担当として過ごしているいま
追伸


まずは前置きの1.2.を掲載します。
これまでの自分のことを主に記述しています。


【1.はじめに ー 私のジャニヲタプロフィール】
私のジャニヲタ歴を考えると、ゆるーい出会いは2003年にTOKIO、2004年にV6、2005年にKAT-TUN・NEWS。ここまではジャニヲタの自覚など当然なく、本当の茶の間。そして同年2005年から嵐担当という感じ。
親がジャニヲタというわけではないが、元々家計的にテレビっ子という環境で育ったためジャニーズが出ている番組を見る機会も多く、多方面影響を受けていた。そのため、自分は何きっかけでジャニーズに興味を持ったのかという線引きが今も難しい。
ただ、TOKIOとV6は完全に鉄腕ダッシュと学校へ行こうがきっかけで、ただの視聴者でありそれ以上でも以下でもなかった。KATーTUNとNEWSは学校でも流行っていて、友達とも新曲について話したりテレビ番組について話したりしていた。
だからヲタクと話していて最初の人は誰かという話題になったら、KATーTUNとNEWSをかじりながら、嵐が私のスタートだと答えるようにしている。これでも曖昧ではあるが。

それをふまえ、私の担当歴は、櫻井翔二宮和也玉森裕太神山智洋だ。

そして、私は久しぶりの担降りを迎えている。これまでは好きな人がどんどん増えていくクソジャニヲタ人生だったが、今回は「掛け持ち」という選択ではなく、「担降り」という決断に至った。私は阿部顕嵐くん担当として新しく進む。

私をよく知る人からすれば、好きな人多すぎで揺らぎすぎって私のことを軽い女だって思うかもしれない。自分でもこんな自分情けないってたまに考える。だからこそ、どこかできちんと向き合って色々整理したかったし、自分はこういうファンだってのを言語化したかった。

「どんな彼でも好き!」っていう盲目純粋野郎な時期は確かにあるにしても、私はそれが長続きせず、いずれ安定を迎えるヲタクであって、安定を迎えるとほかに沸く対象を変えたくなるクズなのだとも知った。
でも「担当」という存在が確固たるものとして存在するからこそ、他の対象に気持ちを向けることへの不安感みたいなものなく応援できていたわけだ。

だが、今回顕嵐ちゃんに惹かれてからというもの私の調子がおかしすぎている。長くジャニヲタをやってきて、たくさんの人を応援して、たくさんの人と出会ったのに、初めての感情ばっかりで毎日てんやわんやなのだ。本当に降りる日が来るなんて初めは全く想像もしてなかったが、好きになった当初から、ただのお気に入りなジュニアくんではなく、ずっと沸き続けられる存在なんだろうなっていうことはなんとなく感じていた。


【2.これまでのスタンスと揺らぎ】
私は少クラも音楽番組もライブ映像も、なんだって真顔で見れるタイプだ。もちろん微笑ましく思う瞬間だってあり、心の中では高まっている。でもそれを表に出さずとも楽しんでいけるファンなのだ。世の中にはこれを理解しないファンは山ほどいて、それで苦しんだ部分も多々ある。それは後ほど詳しく記述するが主に嵐ファン時代だ。

原因は、私が親や姉への配慮か、または一種の羞恥心かでジャニーズに過度に沸くことを制御していたからかもしれない。おそらく私の母は私が櫻井を好きだったことなど多分知らないだろう。私が嵐を応援し始めたことは親ももちろんを知っていたわけだが、私は親に誰が一番好きかといった類の話を共有しなかった。だから中学二年で二宮に降りたあとに、友達が買ってきてくれた二宮のうちわを部屋に飾っていると、母が「あんたはニノのファンなん?」と聞いてきて「そうやで」と答えた自分だったが、なんとなくちょっと違うと思ったこともあった。(が、まあここでの弁解は要らないかと思って説明は省略した。)
要は、今でこそ親とジャニーズの話をしてジュニアのことも通じる相手なのだが、櫻井担当になったときから親と一緒にテレビを見ていても好きな人の魅力を共有しないという癖があったがために真顔で見ることができる耐性ができたのかもしれないと推測する。
そんな私が真顔では見るに耐えない存在と出会うことになる。しかも意味の分からないタイミングで、だ。


次の記事へ続く…
次回は顕嵐ちゃん担当になるまでについてのお話です。