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にこにこにこむぎ。

比べたがり屋の世間に流され疲れたら、またおいで

担降りしました ②

担降りブログ
前記事の続きです。初めての方はぜひ「担降りしました ①」からご覧ください。

今回は3.4.を掲載します。
これは今の担当が顕嵐ちゃんに落ち着くまでのお話です。


【3.顕嵐ちゃんにハマるまで】
彼は入所5年、私はこれまでも少クラ等バックについている彼を目にしてきたわけだし、ジャニ誌にも登場しているわけだし、というか2014年セクボで推され始めたではないか、ということなのである。なぜ今のタイミングだったのか。

私は当時(2014年)は苦手なジュニアとして認識していたのである。なんでいきなり岩橋神宮寺岸宮近に加わった?急だな?みたいな不信感というか。そしてよく話すヲタ友が同様の思いを持っていたためもう気持ちは不信感まっしぐらでしかなかった。
あと私はバカレア枠のドラマを見るのが下手くそで、毎回ワンクール終わったときに丸々残ってるドラマを眺めて「残量やばいから…ダビングしてる暇もないしどうせ見返さないだろうし…消すね…さようなら…」と葬っていたので、近距離恋愛という爆弾に触れることすらなく生きていたわけだ。

本題の「いつから気になっていたのか」というのが全くもって思い出せないのが自分の記憶くそだなって感じなのだが、嫌よ嫌よも好きのうちということなんだろうなと感じる「あれ、なんか最近顕嵐くんが気になる??お??」期が突然到来してしまうのだ。友達と、あらんくんが推されているのは不思議だな?とか言って共有するうちに、何かと注目してひとつひとつにケチつけたくなるような、そんなしょうもない時期が結構続いていたうえで、気にかけすぎて気になってきてしまったという展開だ。しかしそこから怒涛の勢いで突き進むわけでもなく、その気持ちに一度蓋することができたのだ。まあそれは骨折でしばらく表に出なかったからかもしれないと今になってふと思うが。

そしてお友達の誘いでセクゾコンサートに行けることになった2015年3月。顕嵐ちゃんはつかないだろうという話があったそうだが、当時それを知るほどの熱意の中にいなかったため、もしかしたらお見かけできたりしてね?程度の心持ちだった。セクゾに行ってみたかったという思いと、推しメン岩橋を中心にジュニアを楽しもうという意気込みで軽い気持ちで行ったのだ。そしたら推しメン寺西が急にセクファミになっていて、初日だったから知る余地もなく私はもうあたふただ。「こんなことなら団扇作っていったのに!早く言って!」と思いながら寺西よかったな~なんて終えた初めてのセクゾコンサート。

その翌日、先ほど登場したヲタ友と会う予定だったのでセクゾの感想をお伝えせねば!という感情ただそれだけだったのだ。が、なぜそこで寺西への思いが停滞したのかと問いたいくらいに、私は思い出したかのように、でも最初はやんわり、「最近顕嵐くん気になりだしちゃったりしちゃってさ~(笑)」とか口に出してしまったものだから、もうなんか言葉の力って怖くって。
セクゾに行ったばっかりだというのに、会ってないというのに、狂ったように顕嵐くんに沸き始めて一日で近距離恋愛全部見た(急)。もうその頃には完全にはまっていた。画像を漁る日々だしこの気持ちの矛先をどこに向ければ…と悩んでいた。


【4.顕嵐ちゃんを担当にするまで】
そんななか現実は大学生になるってので多少バタバタしたのだが、そんなのお構いなしに私の気持ちは変わらなくて。一人暮らしを初めた当初は何故か全然テレビも見てなかったのに、4月後半に完全にノリでまんだらけでセクゾのDVDを買ったりしたからテレビ漬け(というか永遠にセクセカをリピートし続けるクズ生活)が始まってしまい、そしたらどんどん顕嵐ちゃんへの思いが増して。その流れでHDDに残ってる少クラ全部見返しちゃったりしちゃって。

その時点でもう沼に埋もれてもはや誰も助けられない状況になってた。毎日口からこぼれる言葉も顕嵐ちゃん可愛い…ばっかりで、ここで初めて「担降り」という言葉が見えてきた。二人(玉森・神山)掛け持ちしている時点で、さらに掛け持ちという選択肢は自分になかった。降りるか、降りずにただ応援するだけか、という選択だった。
降りる勇気が全く出ずにいたため「このままでいいかな」なんて思っていたら、降りないにしては気持ちが大きすぎてると気付く。玉森神山担当と名乗る割に比重がどんどんおかしくなってきている。私のなかでキスマイとWESTはどういう立ち位置なんだろう…。
その後「顕嵐ちゃんに実際に会うまでは勢いで降りたりしない」と誓い、ゆっくり真剣に考え始めたのである。

私は櫻井を降りた経験からして感じている。一度降りると他人からは「好きだった事実」を忘れられるということ。だから私は、降りる決断をして玉森や神ちゃんを好きだったことを周りに忘れられることが少し辛かった。そうした「周りからどう見られるか」という思いが作用してしまっていた。
忘れられたくないから降りなくていいやっていう思いが割と長く続いて、ふと思う。降りても降りなくても私の応援スタイルが変わらないなら、今一番頑張ってほしいと思っている人を担当と名乗るのが自然ではないか、と。肩書きが変わるだけで、特に私自身昨日と今日で心情の変化は
特にないという当たり前のことに初めて納得した。今まで一番気にしていたといっても過言ではない環境という要因が一気に気にならなくなり、気が楽になれた。ガムシャラ参戦も決まっていたことだし、「よし、ガムシャラに行ったら顕嵐ちゃんに降りよう」とすごく前向きに考えられた。これはガムシャラの一週間前くらいだったかと。
普通よくあるのは現場に行ったら高まったから降ります、なのだが、行く前から担降り日を決めていたというこの形態の真意は、「きっかけが欲しかった」ということだと思う。本当は1週間前と言わず、もう少し前に決心していたのかもしれない。


次の記事に続く…
次回は過去の担当時代を振り返ります。