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にこにこにこむぎ。

比べたがり屋の世間に流され疲れたら、またおいで

担降りしました ③

前々記事、前記事の続きです。初めての方はぜひ「担降りしました ①と②」をご覧ください。
http://nicomugichan.hatenablog.com/entry/2015/11/24/191747

今回は5.を掲載します。長編なので、3つに分けて書きました。
過去の担当時代を振り返って、経験や感じたことを記述しています。あくまでも私の身の回りでの話であるということをご理解ください。
担降りについて過度に悩んだということだけでなく、ヲタクをしていくうえでも、私が一番伝えたい核心はここかなと思っています。


【5.これまでの担当から学ぶ私のスタンス】
※文脈上、実際の担当の順番(時系列)とは前後している
玉森裕太くん担当時代
嵐に加え玉森くんを掛け持ちし始めたとき、もちろんキスマイは下積みが長いから知らない彼のほうが多いわけで、「もっと彼のこといっぱい知りたい!」ってわくわくに満ちてるわけで、たしかに雑誌を大量購入したり、ジャニヲタ大好きNAVERまとめを読み漁ったりしたものだった。

しかしいつまでも私は「美男ですね。新規」であって、ジュニアの頃から応援している人と出会うと畏れ多く、だからこそTwitterで玉森担当を名乗って生息していてもどこか息苦しいというか、ジュニア時代のヲタクからすれば私が言ってることも癪に障る発言で的外れなのでは?みたいな感情が後を絶たない毎日。だから軽率に「○○に出てる玉森くんかっこいい」とかつぶやくのを慎んでいた。というか勇気が出なかった。

後に、例えばぴんとこな出のファン等も登場するほど、キスマイってどんどんファンが増えていったわけで、私が好きになった当初は「美男ですね新規」「デビュー新規」だったのに、自分もいつの間にか応援し始めてだいぶ時を経たんだなあと気付く。デビュー新規以降にキスマイにはまった人からすれば、デビューから応援してるの長い!って言う人もいるような時代になったのかなと。
だけど私が背負ってるのは応援している年数ではなくて、あくまでも「美男ですね。新規」という一種のブランドなのだ。そのブランドは一度つくと取り除けないし、私にとっては応援していても少し重荷なのだ。重荷というと一方的にマイナスイメージみたいになってしまうが、私はジュニア時代から応援している方への申し訳なさと一種の配慮のような自負を感じていつまでもこう思い続けるのだと思う。

そういった美男ですね。新規である自分だからこその概念なのかもしれないが、私はあまりその人の過去をさかのぼることが好きでない。どういうことかと言うと、私が玉森に出会って玉森担になる以前の玉森裕太についてさほど調べていないし、調べようと試みても長続きしなかった。もちろん彼の経歴であったり、雑誌のスキャン画像だったり、知る機会や知っていることだってあった。しかし、動画サイトを根こそぎ漁って昔の映像を見るだとか、私の知らない彼の活躍をできるならば全部知りたいという思いは私にはあまりなかった。全く興味がないというのは御幣があるが、そこまでして彼の過去を知っても、となんとなく気が引けるというか、調べて情報を持ったヲタクになったところで私はただの知ったかぶりか?なんて自分が嫌になるというか。こういう気持ちが新規なりのジュニアの頃からのファンへの無意識の配慮といったところだったのだろうか。

私は神ちゃんを好きになって神ちゃんがデビューしてから、初めてキスマイをジュニアの頃から好きだった人の思いに初めて気づくわけだ。「わかった気にならないで!」と怒る方もいると思うので断定的には言わないが、応援していたジュニアがデビューってすっごく嬉しいのに、すっごく寂しくてすっごく遠く感じる。だから神ちゃんのデビューまでは、私はジュニアがデビューする事の重大さに気付いていなかったわけだ。
それなのだが、それ以前の段階で、私は少しは理解している気だった。というのも嵐を応援していたからだ。

⑵嵐(櫻井翔くん・二宮和也くん)担当時代
嵐はもちろん人気だったし、シングルチャートでは一位を取っていたし、存在を知らない人は稀だったはずなのに、10周年を迎えるというただそれだけでメディアへの露出が増えてファンが増えていく。これを感じた決定的な事実は、小学生の頃は嵐ファンが学年に私しかいなかったのに、中学に入学すると数知れないほどいて、しかもその多くが櫻井で、しかも小学校卒業後にはまったなんていうド新規もすぎる新規がいたほどだった。私はここで初めて「新規」という概念を知ることになる。

一概に新規が嫌いというのは良くないが、私の周りにいた新規はやはり古株(と呼ぶのを好まないが表現が楽なので使用させてもらった…)に対して失礼ばっかりだった。知ったかぶりが過ぎるし過去にとらわれている。

私は新規が苦手だ、と主張したいのではない。無秩序な行動が過ぎる新規が苦手なだけだ。
感じるのは、そういう新規ほど過去を知らないことを恥じ過去に執着する。よく知りもしないのに、2006年の○○がいいよなあとか口走ってしまう。度が過ぎる盲目な態度を(時には無理して)とり、新しく得た情報はすぐ使いたく話したがる、自分はよく知ってるだろすごく自担を愛してるだろと見せつけたい、そんな感じだ。
「みんなに対してそう思ってるわけではないにしろ、新規に対するイメージ悪すぎだろお前」と言いたくなるこの閲読者の気持ちは察する。ただ私の周りの嵐ファンがことごとく皆これだったのだ。

つまり、そうした環境が私に過去の活躍を知ることへの抵抗感を増長させたのだ。もうこれ以上言語化できないのが悔しいが、10周年新規の嵐ファンって本当にくだらないし手に負えないって中学生ながらに思っていた。

私はドリームアライブ神って思っている民で、それが最高で最強と思っているので、その次のオリジナルアルバム「僕の見ている風景」が出たときに少しばかり落胆したのだ。
たしかに僕の見ている風景というアルバムは新規にとっては初めてのオリジナルアルバム。それは思い出深いものになるに違いない。私も今となってはすごく良いアルバムだなあと好きな楽曲であるのは確かだが、嵐のこれまでの毛色と全く違うのも確かだ。

このアルバムから、というか10周年イヤーのシングルからといった方が正しいのだが、嵐の路線変更が行われたなと感じた。
私は誰でも人は今が一番かっこよくてかわいくて輝いてるんだって信じている。「あのときはかっこよかったのに」ってついつい自担に言いがちだが、やっぱり昔をどうこういったところで今の彼が一番彼らしくて好きだと思うからだ。
しかし、嵐に関しては今が一番かっこよくて好きだとは思いつつも、やはり10周年を迎える前の楽曲や雰囲気が忘れられないしカムバックって思ってしまっていた。もし10周年の過度な露出がなかったら…と何度も考えたことがある。(だいぶただの傍観者と化した今は、そこまで気負って難しく考えたりはしていないが。)
それで私は中学時代悩み続けた。私は昔の彼らを望んでいるのに彼らはどんどん新しい道を突き進んでいくし、新規はそんなことも考えずに昔を語り今を愛し、軽率な言動をする。私はどんどん嵐に対して免疫がついていくのに、周りはひとつひとつに過剰に反応し騒ぐ。そこについていかなければならない使命感みたいなものを感じて、キャーキャー言わなくちゃいけないと義務的だった日々。新規は皆いかに自担に盲目に騒ぐか、考えているか、情報を持っているか、またメディア媒体を所有しているかというのが愛の大きさをはかる基準であった。
だから、だんだん過度に沸かなくなり、昔の嵐を知っていても特にでしゃばるでもない私をまわりの新規は見下し始めるし、私のメンタルも結構やられていた。

そのうえ私は2010年に櫻井から二宮に担降りをした。その途端櫻井担は調子に乗り始めるのだ。お前はもう二宮だから櫻井を語ったところで櫻井担の私の勝ち、みたいなオーラしか感じないのだ。なんだこの息苦しさは。好きなものを好きと言えない、私がこうした主張をしたくてもできない、したところで耳を傾けもしない、無理に嵐に沸き沸きしなきゃいけない、、、

そうとても悶々としていた頃に玉森裕太に出会った。まあこうした環境だったから「玉森裕太が好き」と言うと「嵐への思いはそんなもんだったのか」「じゃあもう嵐ファンじゃないんだ」という0か100かみたいな対応をされるのでまともに言うことができず、だから私は玉森くんを美男ですね。から応援しつつも殻にこもっていたわけで、コンサートに行くまでそれを出し切ることができなかったわけだ。

長くなったが何が言いたいかというと、中学時代の嵐10周年以降の新規との環境があったせいか、私は昔にとらわれて情報をかき集めるヲタクが苦手なのだ。いまの彼が好きって気持ちだけで応援して何が悪いと思ってしまうわけだ。それだから玉森に対しても私は情報を調べようとしなかった。だからまだ好きになった間もない頃、例えばジュニア時代の曲はキスマイのアルバムやDVDの特典でついていたキスマイzeroでその音源を聞くし、無知っぷりが半端じゃなかったわけだ。
美男ですね。新規の私が言うのもおかしいが、同じ美男ですね。新規がデビュー当時にYoutubeで必死に少クラ映像を漁ってジュニア時代の曲を聴いて「やっぱり雨っていい曲だな~」なんて言ってるの見たら、新規の分際で何言ってんだよ知ったかめ、とか思ってしまっていたほどの性悪女だったわけで。
嵐の新規に対して「知らない話題には正直に知らないと言えよ」なんて心のなかで思っていたわけだが、実際自分が新規になってみるとパブリックのなかで「知らない」と言うには勇気が必要だと思った。でもそこで会話に入りすぎないこと、発言しすぎないことが新規としてのわきまえだと思ったし、ありきたりな相槌だけを打ってやり過ごせばいいと、身に着けたものだった。

神山智洋くん担当時代
私がなぜ神ちゃんを掛け持ちし始めたかというと、ジャニーズWESTがデビューしたからなのだが、そのとき突然好きになったわけではなくて約2年ほど前から応援していた身であったからだ。というか初めてちゃんと好きになったジュニアが神山智洋だったのだ。つまりここで初めて自分の好きなジュニアがデビューするという気持ちを知るわけである。

そもそも起源は、ブログでお友達になったお姉さんが竹本慎平担当で(ブログで交友関係を広げていたことに時代を感じる)、ブログを読んでいくうちにお姉さんの好きな7WESTさんをもっと知りたいと思ったからだ。
もう少し厳密に言うと、私の記憶上その頃に少クラで関ジュ特集みたいなのがあった気もする。それを機に画像を漁ってみたり、手元にあるたった一冊のジャニ誌を眺めたりもした(※私はをたくになってから「三大負け要素」として、ジャニ誌を買うこと、ジャニショに行くこと、部屋にジャニーズのポスターを貼ることをあげていたのだが、これは全部キスマイを好きになったことによって覆され、その覆されるきっかけとなったジャニ誌一発目を買ってほんとにすぐの出来事であったのだ)。そのときに神山重岡が気になり、お姉さんからも神ちゃんを推しておくというお返事をいただき、その言葉の影響は大きく神ちゃんを応援し始めたのである。
そして関ジュの曲がたくさん存在し、関ジュはほかにもたくさんいて知りたい欲求は高まるが、昔のin大阪を漁る元気は生まれないし、やはり「ジャニ誌を買う」「年に一度のin大阪を楽しむ」でしかなかったわけだ。

年が明けるぞ!ジャニーズで年越しだぞ!@お家なときに、僕たちデビューします、言われたときの白目っぷりはもう忘れもしない。あの年玉森裕太のビジュアルの良さといったらもう異常でもう目の保養目の保養~~って感じやったのに、一瞬でそんなの忘れるくらいに、あれ以降のジャニカンは「え?神ちゃんは?なんで?神ちゃんどこ?」をロボットのように繰り返していた私だった。
おしげ担の友達と嘆きながらデビューに関する情報を集めて最終的には一喜一憂して友達とともに泣いたものだった。やっとだね七人だねうれしいね神ちゃんって分かち合って、その瞬間から私のなかの神ちゃんが大切なジュニアから担当へと変わった。

が、私は一度ジャニヲタすら卒業できると思ってヲタクさよならに向けて走り出した時期があった(@2015年春ー夏)。
私はジュニア時代を見ることができたとはいえ、神ちゃんのファンの先輩は山ほどいる世界だ。だからキスマイに限らずここでもやっぱり私はどこまでも新規だという自負が消えない。にも関わらず、デビューして遠くなった寂しいとかほざいてしまったわけだ。それを機に、なんとなくジャニーズに冷めて番組等メディア媒体を追うことを割と放棄した。
少クラには毎回出るようになったが、関西の番組は見れないわ、受験期はジャニーズもアイドルも歌手も、どのジャンルでも全く新しい音源を増やさなかったので、曲を知らないとなると何も追えてないみたいな感覚が強くて、どんどんWESTさんへの気持ちだけが一人歩きして行動が伴わなくなってしまった。好きは好きなんだけど、ファンの方との熱量の差があることに気付き始めて、こんなはずじゃなかったのにってその乖離に苦しんだ。
しかし、それを理由に降りて手放すなんて今の私には中途半端すぎるし、やっぱりきっかけをくれたお姉さんのことを思うと、あんなに良くしてもらってきておいて降りますだなんて失礼がすぎると申し訳なく思う。それは今も変わらない。 


次の記事に続く…
次回がラストで、まとめとして担降り以後についての話や総括をしています。