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にこにこにこむぎ。

比べたがり屋の世間に流され疲れたら、またおいで

担降りしました ④

前々々記事、前々記事、前記事の続きです。初めての方はぜひ「担降りしました ①②③」をご覧ください。

今回は6.と追伸を掲載しています。
根気よく読んでくださった方がいるならお疲れ様でした!総括なので、以前の記事よりは読みやすいかと思っております。


【6.さいごに ー 顕嵐ちゃん担当として過ごしているいま】
もっとたくさん担降りをしている人や担当をフレキシブルに捉えている人からすれば、私のこれまでの担降りなんて大したことないかもしれないが、私は「担当」を勝手に重く捉えてしばられている。その真意は、実際担降りをしたことに後悔の経験があるからかもしれない。一旦降りて違うと思えば出戻りすればいいじゃんという考えは私にはないので、それも相まって一回一回が慎重で何度もシュミレーションをしてしまう。そして一度乗り越えたにしろ「周りからどう思われるか」という要因はいつまでも気になってしまうタチである。

実際、顕嵐ちゃん担当になって後悔はしていない。後悔しそうで怖かったが、むしろたくさん相談していた友達に「降りてよかった」と伝えたくらいだ。こんなにもかっこよくて可愛い顕嵐ちゃんを可愛い可愛い好き好きって言える毎日がとっても幸せなのである。(盲目)
あとは久々に掛け持ちでなく担当が1人という状況が懐かしくて、なんとなく伸び伸びしている。

言語化が難しいが「顕嵐ちゃんはこれまでの担当と違って、私の調子もおかしい」といった類の話。
私は本当に気分屋なので、これまでの担当に対しては可愛いを連呼するときもあれば、真顔でこういうところがほんっとに嫌いイライラするとか言い始めたりテキトーである。波が激しくて一旦好きになれば扱いは雑なときも多い。
しかし顕嵐ちゃんを好きになって数ヶ月経ったいまも、どんな顕嵐ちゃんでも可愛い♡なんて甘やかすしかしていないということが初めてに近く、テレビを見ながらは〜〜♡かっこいいきゃー♡と声に出す経験も割と初めてである。(これは、今までが実家暮らしで、過度に親と共有しなかったということが関与している可能性もあるが、それはさておき根本の内側の感情的な差と捉えて欲しい。)

ガムシャラに行った直後は高まったあまり自分でも引くほどかなり無秩序であった。が、それはもう過去のこととして話すことができ、今は変わらぬスタンスで過去の顕嵐ちゃんは何にも知らないので相変わらず無知だ、かなり。
振り返って、前回の5.が私の主なジャニヲタ時代の思いである。中高の青春は嵐とキスマイとWESTに支えられてきたので、いつまでたってもこの3グループにはしがみついていて忘れられないでいるのが事実であるし、一途になれない性分なので「今日も世界一可愛いねえ(泣)」という言葉は割と誰にでも言う毎日である。

しかし私は誰にでも沸いているわけではないと思っている。皆好きという訳ではなく、好きな人は好きというスタンスだ。そのため本当に興味ない人のことはとことん知らない。領域外となると知る意欲も底辺である。自分自身知らないことがあるなら知りたいという貪欲タイプかなと思っているのだが、いざ勉強しようとなると興味がないので続かないのである。

だから本当に顕嵐ちゃんのことは自分が気にかけ始めたところがスタートになるのだが、初めてのジュニア担、これまで以上に人柄が掴みづらい。露出も少なく、ほぼ歌って踊っての姿しか見ることができず、どんな発言をするのかどういった切り口で話し出すのかといったことがまだよく見えてこない。どんな思考なのか、どんな態度なのか、仕事に対する思いもすぐには見えてこない。悔しい。
高校時代はジャニ誌に散財したのだが、手に入れたら満足タイプなので反省してだんだんと買わなくなった。今は一人暮らしをしていて荷物を増やしたくないというのと、せっかく買わない生活が続いたのに一度購入すると続けて買ってしまいそうなのできっかけを作りたくないという理由でことごとく紙媒体を避けている。本当は欲しいが。紙媒体を毎月きちんと追えたらもっと知れるだろうなあとは分かっていながら、実行できそうにない。

これまでの担当との向き合い方の勝手が通用しないところが私にまだ馴染んでおらず、阿部顕嵐くん担当ですとは名乗りながらも自分でもどこかぎこちなくて似合ってないなと思ってしまう。
まずは、自担の団扇を持つ日を迎えられますようにが第一の目標であり、自担が見て行く世界を共に追いかけたいし、経験して感じたことが次に活きていきますようにと見守るに徹する。その中で私も少しずつ顕嵐くんのこと知って行くから、色んなこと私たちに発信し続けるエンターテイナーであってね。

おしまい。

追伸
5.は一貫して割と偏った話だなというのは自覚しています。私がひねくれた性格なので曲がったことばっかり考えてしまうところがあります。思っていることは今もさほど変わらない毎日ですが、中高という過剰にエンタメにミーハーな中高世代の関わりのなかであったというのが要因の一つかなと勝手に解釈しています。
今は大学では過度にジャニヲタであることは見せないようにしたいます。それは「ジャニヲタである」ということだけで、あることないこと勝手に人格やイメージを作られることが嫌だからです。同じジャニヲタであっても理解しあえないときはあるし、それぞれのアイデンティティーがあると思っているので、ジャニヲタというだけで全てを一緒くたに捉えられることを避けたく思い公言していません。
はたまた中高時代(一貫校でした)は私がヲタクであるということを受け入れてくれる仲間がほとんどだったのでオープンに過ごしていました。しかし、担降りとか担当ではないけど割と好きとかそういった自分のなかでの線引きまでも理解しろというのは無理難題です。そのため例えば「あれ、嵐じゃなかったっけ?キスマイなの今?」みたいなことを、直接言われないにしても感じていた人は少なからずいたと思うんです。そう思う気持ちを私が勝手に感じ取ってそこにまで気を遣ってしまっていました。そして逆に自分も他人(ヲタク)のそうした変化に反応して過度に考え過ぎてしまっていました。それは主に学校内で築かれたサイクルで、いつの間にかそれが学校外(ネット)でも作用したのではないかなと思います。
5.は極端な話で耳障り悪いなと感じる箇所あると思いますが、私の一経験として流して欲しいなと思います。



ご拝読ありがとうございました。
4回に分けて更新させてもらった担降りブログ、これで以上になります。
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