にこにこにこむぎ。

比べたがり屋の世間に流され疲れたら、またおいで

「顔がいい」コンプレックス

 

わたしもわたしで「顕嵐くんって見た目はチャラく見えちゃうけど、」とかって前置きしがちだった。万人ウケするような顔の良さだってことをなんとなく分かった上で、顔のイメージが先行して中身や内容の良し悪しを判断するときに邪魔な要因になってしまったら嫌だと思っていたんだと思う。顕嵐くんの良さをまっすぐ受け止めて欲しいから。

 

雑誌読んでると顕嵐ちゃんって度々「こんなチャラい顔なんで」って言うよね…この子間違いなく顔面コンプレックス…実際それで偏見を受けてきた事があるのは察するに余りある所なんだけど、本人が全部分かってて常に礼儀正しくあろうとするのが本当に健気すぎてまさに「守りたいこの笑顔」でさあ…

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このツイートをお見かけして、もちろん顕嵐くん自身が「顔面コンプレックス」を持っていることを理解するには容易かったとともに、あぁわたしもいつのまにか顕嵐くん自身の顔面コンプレックスを受け取って、顔面コンプレックス的な視点でモノを捉えていたのだなと思った。

 

たしかに「顔で好きなわけじゃない」と思っているひとは担当・推し問わずたくさんいると思う。好きになったきっかけは顔だったかもしれない、だけど今も顔で好きなわけじゃないって。少なくともわたしは思ってる。誰の担当をしていたとしても、内面で好きを確信する側面が多いから。

実際顕嵐くんの好きなところを挙げてみても顔が出てくるのはだいぶ後ろだと思うし、自分が沸くときもあんまり顔を理由にしたくないと意識していた節もあったような気がする、けどこれがすでにわたしが顕嵐くん自身の顔面コンプレックスゆえの「顔がいい」コンプレックスを感じていたからこその行動だったわけですよね。

 

顔がいいに越したことはないのは十分なくらいに分かるけど、「顔がいい」が本当に最善の褒め言葉だとはもう思えなくて、言われすぎてというよりそれしか言われなくてつらいときもある。贅沢な悩みだなとかいう感じではあるけど、でも顕嵐くんの持つ顔面コンプレックスってそういうことだよね。

わかんないけど顕嵐くん自身も顔ばっかり褒められたら俺って顔だけなのかよ…ってなっちゃうんだろうし、わたしたちヲタクとしても 担当外のひとから顕嵐くんって顔がいいよねーと言われると顔じゃなくてもっと魅力があるのに!と思ってしまうみたいな。

 

だって一般的な「顔がいい」が先行しない対象に対してだったら、担当外のひとから顔がいいと褒められる割合より、例えば「この間のあの曲よかったよ」とか「ダンスが好き」とか「トークが面白い」とかなんかもっと具体的な要素や場面の方が多く列挙されるはずだもん。

でも「顔がいい」が先行する対象だと、顔っていう先天的な揺らぎようのないことに対するものに評価が向きがちで、仮に要素や場面を褒めてもらえた場合でも最終的な着地点が「顔がいい」「顔面強い」になってオチにされてしまうこと、肌感としてめっちゃある。

顔がいいってたしかに立派な褒め言葉だけど、それしか言われないのはそういう意味でつらいんです。でもシンプルに顔がいいなと思ってのことだとわかるから、その「顔がいい」は言葉通りそれ以上でも以下でもないことも伝わるから、だから余計につらい。

 

いや、うん、わたしも顔も好きなんだよ、当たり前に好き。顔が好きな瞬間もたくさんある。でも顔がいいでまとめられると全然腑に落ちないし、顔がいいだけを担っているようなポジションに立たされるのめっちゃつらい。該当担が顔がいいでまとめるのは担当なので無論、という感じもするのだけど、周りにとりあえずで顔でまとめられてるように感じるとわたしが勝手に不甲斐なくて落ち込んでしまう。

 

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今からのくだりは、わたしが勝手に思い描く顕嵐くんについて想像で話しますが。

世間的なというかパッと見のイメージだと、顕嵐くんって女の子を手玉に取ってコロコロ転がしているように見えているのかなと思う。無意識に発せられるずるい言葉で女の子を翻弄したり、自分のかっこよさを武器に自由に操れてしまうような、女の子には困っていないような。いや実際困らないんだと思うけど。

だから周りの女の子も顕嵐くんにそういう華やかなイメージを持って近付くのではないかなとか思うんだけど、でも実際の顕嵐くんってわたしはもっと誠実でまっすぐできちんと大切に向き合ってくれるひとだと思う、ので、顕嵐くん自身がそんなに上手く女の子を転がしているんではなくて、女の子側が勝手に(一般的な)想像の顕嵐くんに恋して寄って来るんじゃないかなって。

そしたら女の子の思っていた顕嵐くんと、実際の顕嵐くんには相当な乖離があるわけで、そういうところに良くない方向のギャップを感じてつまらないだとか刺激がないだとかで離れていってしまったりしないかな…みたいな(虚言がすごい)

こうした想像からわたしは顕嵐くんには振るも振られるもどちらであっても失恋が似合ってしまうなぁとか思ってしまっている。

 

…というとんでもない余談を挟んだけど、この勝手な想像もわたしの中に潜在的に「顕嵐くんは顔で誤解される」って認識があるからこそ生まれているものだなと気付かされたんです。そう、わたしは「顔がいい」コンプレックス…

 

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わたしは高橋恭平くんに担降りをしたわけなのですが、彼もこれまた顔がいいと言われるひとなんです。

…わたしはタイプ的に顔がいいひとを好きになるってことにいい加減気付いて、という感じなのですが、でもわたしはほんとに担当として好きになって渦中にいないとそのことに気付けないタチで…。というのも顕嵐くんもきょへもどちらも好きになる前は意識だって「好きでない」カテゴリーにわざわざいたひとだったから。

 

顕嵐くんのことを元々は好きでなかったエピソードと共に、わたしが社会心理学のゼミに入ろうと思ったきっかけでもある余談ですが、

元々わたしは顕嵐くんのことがどこか気に食わなくて、なんで最近推され始めたのだろうと腑に落ちなくて、同じくそう思っていた友達とあそこが気にくわないとかこの間の少クラの顕嵐くんはあーだこーだ共有していたんです。でもそうしているうちに、意識して見るようになっていたせいか …まって好きかも??? みたいな逆転の境地まで来てしまったんです。結果としてそのまま好きを加速させて降りたのですが。

 

そしたら大学に入って、これは社会心理学的にオーディエンスチューニングとSIB効果で説明ができるらしいと今のゼミ教授から教わったんですよね。

オーディエンスチューニングは相手が思っている方向に合わせて話をすることであって、この場合は 友人も顕嵐くんを好ましく思っていなかったのでわたしも顕嵐くんの好ましくない方向性の話ばかりをしていたということ。

SIB効果はオーディエンスチューニングの延長とも言えるんだけど、オーディエンスチューニングのように相手の意思に沿って話しているうちにだんだんと話している方向性に納得をするようなことであって、本来は相手に合わせて顕嵐くんが好きでない話をしているうちに顕嵐のことを好きでなくなっていくようなことを意味する、んですが、教授によるとその逆が起きてしまったわたしの例もSIB効果に類似した心理過程なんだと。

(わたしの拙い担降りエピソードを先生がたまたま見つけてくれて大真面目に解答してくれたおかげで先生のゼミに入れました本当にありがとうございます(?))

 

きょへに関しては、単純にアホの子っていうイメージが先行してそれだけで「アホな子は無理」とすごい嫌悪してたけど、ちゃんと見たらめっちゃ好きだったみたいなそんな感じ(雑)。これも、ちゃんと見始めたことによって感じた 好きかもしれない…好きなのかな…好きになっちゃう…の断片を色んなひとに共有してるうちにじわじわ好きになりかけたみたいなところがあるので、SIB効果が絡んでの結果かなぁと思っている節はありますね。きょへを好きになった経緯はこのへんに書いてるので興味あったらこちらに。

関西ジュニアのお話 - にこにこにこむぎ。

 

 

話を戻すと、こうした経緯で顕嵐くんもきょへも元々は「好きじゃない」「興味がない」のカテゴリーにわざわざいたひとなので、まさか世間一般では「顔がいい」カテゴリーにいるひとだと気付く余地がなかった(いやだから自分は顔がいいひとがタイプなんだってことにいい加減気付いて…)。だから自分が担当として渦中にいないと気付けなかったし、それからというもの これまでわたしはわたしで「担当だからかわいいかっこいいと感じているだけ」と思っていたことも、万人ウケ的な意味の一般論に置き換えられがちで、うーん…となったりしてしまっている。

 

 

いやーーーーたぶん、顔がすき!って気持ちが自分の中に強くあって(好きなところを列挙すると割と上位に顔が挙がる)ヲタクをしてたら、別に周りに顔がいいって言われても何とも思わないというよりもむしろ、そうでしょ!顔いいよね!うれしい!となるんだろうなぁとは思う。

けどわたしのように、好きなところを挙げていった場合顔が出てくるのは後ろのほうだっていうヲタクからすれば癪に障る問題なのだろうなと。

つまりはかるところスタンスの差なのでこれが一般論だとはほんとに思ってなくてあくまでわたしのわがままなんだけど…

 

でもなんていうか、わたしは後者のスタンスなので顔がいいでまとめられすぎるとうーんと思ってしまうものの、きょへと顕嵐くんに対する考え方はまたそれぞれ違うなとは思っていて。

顕嵐くんには顔じゃないところに好きを募らせすぎていたというか、顕嵐くんがいつでもどこでも顕嵐くんでいてくれるところが好きでそれを感じるたびに好きだったので、だからこう容姿含め一部分や外側を受け取っただけでは感情的に好きーーー!となれなかったのに対して、

きょへには中身で好きなところもたくさんあるし、むしろきょへの顔がいいだけでは百億パーセント降りれてないので中身の好きがいちばんに来るのは大前提なんだけど、でもきょへは顔が好きなんだと思う。シンプルに顔が好みなんだとは思う。

 

わたしが 好きなのに好きすぎて降りたいとか言ってたその頃には気付けなかったけど、たぶんそれは顕嵐くんのことは好きなのに顔が自分の「好み」ではないからその方向性の不一致が引っかかっていたのだと思う。でも万人ウケする顕嵐くんのお顔に対して「好みではない」「顔が好きではない」という言葉・態度を向けることが、一般的に信じてもらいにくいような側面が少なからずあった。から言えなかったというか、それに隠れて自分自身も気付けずに思いきれずにいたんだと思う。

 

だから、きょへに対して中身に惚れつつもきちんと(?)きょへの姿を見るだけで感情的にかわいいかっこいい!と思えてる今は、シンプルにきょへの顔がタイプなんだろうなと分かる。……タイプなんだろうな。

 

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書きながら思ったこととして、わたしは顔が好きなだけじゃヲタクはできないなというか、好きな理由の一番に顔が来るひとのことは、一番の担当や推しにはできないな、と改めて思った。

いい例がSEVENTEENで、わたし死ぬほどジョシュアくんの顔が好きなんだけど、でも(人格否定とかのdisりでは全くなく)シンプルに顔が好きでしかないのでそれだけじゃ一番の推しにはしてあげられないなぁって感じて。

 

ジョシュアくんのことは去年の夏に推し増ししたのだけど、今年のツアーでミンギュのこともウォヌくんのこともジョシュアくんのことも見逃せないよ;;とてんやわんやしてたとき、

ただ顔を見るだけで幸せ!と思えるのがジョシュアくんで、極端な話ジョシュアくんがどんな歌い方や踊り方やコメントをしようが全部かわいい(◜௰◝)おっけー(◜௰◝)ってなれたのに対して、

ミンギュやウォヌくんには こういう踊りのクセが好きとか言葉選びが好きとか、見かけだけじゃないところに好きのパーツを拾って好きだなぁ…!と幸せな気持ちになっていたんです。

その違いに気付いた瞬間、ジョシュアくんのお顔はいつでもどんな形でも見ることができてそのたびに好きな気持ちを受け取れるけど、ミンギュとウォヌくんのことは見逃してしまったらその一瞬に込められた好きな気持ちまで逃してしまう、ってそれが自分としてはタブーすぎたので、3人とも見逃せないと思っていたけどだんだんとなんとなく自分の中に優先順位がついた。

ツアーを通して、それぞれの好きの向け方の違いと、自分の好きの選び方みたいなものになんとなく行き着いた気がする。

 

「顔が好き」で好きになれるんだったら、きょへのことだってアホだからとかどうこうの前にすぐ好きになっていたはずだし、データカードに後押しされなくてもとっくに好きだったと思うし。やっぱりわたしは外側だけじゃない、考え方や姿勢、パフォーマンスのような内側から表出されるもので自分の好きな気持ちとリンクさせたいひとなのだろうなぁとか、思いました。そのスタンスもわたしの「顔がいい」コンプレックスを加速させている所以なのかもしれない。

 

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顔面コンプレックスは当人が感じているコンプレックスであって 今回で言えば顕嵐くんのことを指していて、「顔がいい」コンプレックスはそれを受け取る側(第三者)が感じているコンプレックスであって 今回で言えば我々ヲタクのこと。(とか言って勝手な造語なのですが。)自分も顔がいいって使ってしまうし、そこには全身全霊の「顔がいい」という意味が込められていて本当にそれ以上でも以下でもないことは身をもって分かる。けど担当や推し的な意味では好きでない当人から向けられる「顔がいい」は時には凶器になり得るとかいうことが、なんとなく心の片隅に伝わればいいなとか。わたしもあんまり本人の負担にならないような、コンプレックスまで行きすぎないような、伝え方ができたらいいなぁと改めて思いますね…気をつけたい。

 

でもこの記事は顕嵐くんが顔面コンプレックスを感じているのだろうっていうところから派生させた話だったけど、きょへの場合、本人に顔がいいって伝えたらめちゃくちゃに喜びそうなのでとってもかわいいですね…勝手に和みました。ナルシストって最高にポジティブでハッピーオーラがすごいや。きょへはお顔がソーキュートだよ!!!!

 

 

おしまい!