きょへBD 25th
きょへと出会ったことだけが要因ではないけれど、きょへを好きになってわたしの人格はかなり変わった。それまで過度に心配性で反省や自己嫌悪を繰り返していたのに、クヨクヨしなくなったしどっしり構えてどうとでもなれーと割と怖いもの無しに生きられるようになって、そんな自分がすっかりデフォルトになった毎日を生きている。そしてとにかくきょへのいるこの世界がとってもキラキラするようになったし、きょへをすきなだけで毎日が楽しくなった。きょへに対してポジティブな感情を持つことは言わずもがな、きょへ以外の物事に対しても自分の感情を大事にできるようになった感覚があって、すき、かわいい、楽しい、悲しい…色んなことを以前よりまっすぐ捉えられるようになったと思う。身の回りのひとつひとつに彩りや温度を感じて楽しめることの喜びはきょへがもたらしてくれたものだと思ってる。
きょへは誰かを否定したりしないし、人と比べない、そして自分を悪く言わない。これができるだけで誰にも害を与えず自分らしく生きていられる訳だけど、きょへはそれを誰に教わるでもなく実践できていて、それもきょへがただただ「自分を好きでいる」という一点を守ってきただけで自ずとできていることがきょへの真髄でもある。
どれだけきょへを好きになって人格が変わろうとも、以前より前向きに乗り越えられるようになろうとも、その本質こそ真似ができないまま生きてきた。
きょへを好きになって8年目になった。要はデフォルトになった新生のわたしとして生きて8年目になった。その間にわたしの人生も色々あって、色んな出会いも別れもあった。決してきょへだけじゃない要素の積み重ねの中だけど、今振り返ってふと「わたしって昔より自分のことすきだな」という感覚が手元にある。
わたしはずっと自己肯定感が低い。それを話すと長いので割愛するけれど、その原因は今更どうしようもないからずっと付き合っていくしかないとしか思っていなかった。それでも、好きな自分になるために、あるいは嫌いな自分にならないために、この数年は特に色んな力を借りながら鼓舞して生きてきた感覚が強くあって、その先に前述の「自分を好きになれた感覚」、もう少し厳密に言うと自分を好きだと思ってあげられる材料とか根拠みたいなもの、そんな選択肢を自分で自分に作れたような気がしている。
きょへは「ナルシスト」であると多くの人に認識されていると思うのだけど、自己中心的な自己愛ではないので誤解されていたらいやだ、という思いはずっとある。自分のことを自分で認めてあげられているから誰かを羨んで嫌な矢印を向けたりしなくても相手の良いところを真っ直ぐ評価することができるし、わざわざ誰かを落とさなくても自分も他人も尊重できる、というもの。わたしにとってそれが理想系でありそれを地で行くのがきょへという人間であることも分かりながら、それをわたしが自分で体現するなんて縁のない話だろうと他人事に受け止めていた。あくまで「きょへって素敵な人だな」って感じるすきのパーツのひとつに過ぎない理解だった。
けど、最近こうした思考とは切り離して、手放しにふと「今、前よりも自分のことを大事にできているから、これからは周りのことを今まで以上にもっともっと大事にしたいな」という思いが自分の内側から湧き出たときに、「…これって、これまで憧れてた、なりたかったきょへのマインドなのでは…!?!?」と衝撃が走った。そうなろうと綿密に計画していたことでもなく、ただただその時々の目標や思いに向かってがむしゃらに走っていたら、行き着いた先でこれまでの点が線になっていたのを今振り返って気付き、えも言えぬ感傷に浸っている。自分で自分を満たせば、周りにも目がいくようになるというのは本当なんだ。
人はたとえ同じ内容だったとしても、知識として意味を知っていることと、自分の経験の中から学ぶこととには大きな乖離があると思っている。その違いには痛いほど向き合ってきた数年で、後者の知恵みたいなものをわたしなりにたくさん回収してきた日々だったのだけど、回り回って原点回帰で大好きなきょへのマインドに対しても同じようにクリアな理解に到達できたことが心底うれしかった。なりたいけど自分にはなれないと思って目標にもしていなかったくらい遠かったあの頃の夢、自分の力で確かにここまで歩いてきたんだ。
きょへを好きになっていないわたしだったらできていないこと、乗り越えられていないこと、やっていないこと、考えついていないこと、山ほどあって、きょへを好きじゃないわたしで生きていたら今頃どうなっていたんだろう?と考えてゾッとすることが生きてく中で幾度となくある。さっき「自分の力で」なんて言ったけど、その「自分」を創り出したのはきょへで、きょへがいなかったらなりたい自分になるなんて愚か、なりたくない自分ばかり目に入ってしまう毎日だったんじゃないかと思う。
根拠のない自信って大事だけどいきなりは持てないし、根拠のない自信しか持っていなかったら急に折れたときに立ち上がれない。きょへをポジティブってラベリングするのは簡単だけど、ポジティブに変換するにはたくさんの根拠を自分が掴んで信じてあげるしかない。きょへだってポジティブというパブリックイメージに自分自身が惑わされていた期間があって、たくさん悩み、傷付いたのだろうと思う。でもきょへにとってそれがゆくゆく奮い立たせてくれる根拠にも繋がったんだとも思う。ナルシストもポジティブも今日から始められるけど、根拠を拾い信じる時間も必要で、今日から完璧に生まれ変われたりはしない。きょへを好きになって始められたあの日から、時間はたくさんかかったけどわたしも少しずつ生まれ変わっている最中だ。
きょへが教えてくれることはずっとわたしの基盤になっていて、きょへがきょへとして生きていくことがわたしを導いてくれるのだと改めて感じられた。わたしはやっぱり、この先もきょへと一緒に生きていきたい。きょへがいるおかげで煌くこの世界で、自分も周りも大好きに、大切に想って生きていきたい。
いつもわたしの心にいてくれてありがとう。きょへがたくさん愛されてずっと幸せでいられますように。それを力に変えて頑張った先で、きょへがもっと多くの人に届きますように。お誕生日おめでとう。
2024年出会えて良かったもの
■INI
ひとつの前の記事にも書いたけど、今年INIに出会うためにこれまでずっとおたくしてきたのかもって思うくらいの衝撃だった。今年の出来事も変化もほとんどがINIに起因しているから今ここに何を書けばいいかわからなくなってるけど、わたし自身が自分への解像度を上げたり、自分を解放したりできるようになったきっかけをたくさんもらった。あとはシンプルにみんなのことをすきでいられてうれしくて楽しい!
これからものんびり楽しくだいすきでいる。(お友達でINIすきなひといたらぜひお話してください!)
■きゅるりんってしてみて
毎日聴いた。結局初動と変わらずチバゆなに落ち着いたけど、その自分の直感すら信じられないくらいにみんなのことかわいくてだいすきで反復横跳びしかできない時間が長すぎた。でもやっぱりチバゆなだ!って思ったわたしでチバゆなに会いに行けてうれしかった(T.T)加えて、ずっと聴いてただいすきな曲に、わたしのエゴみたいな気持ちを乗せて夢を叶えてくれたINIの思い出も含めて宝物になった。
きゅるちゃんのSNSの投稿の通知がくるとにこにこになれてうれしくて、YouTubeにMVとか上がるのを健気に待ってプレミア公開で見たりとかして、本当に本当にきゅるちゃんのことも、きゅるちゃんをすきな自分もだいすきで、ずっと楽しませてもらったな。だいすきだ~
■Jams Collection 水瀬さらら
全然通えてないしもうすごく人気になっちゃったけど、そうやって日々頑張りを感じられるのもうれしいし、あの日色々考えて結果さららに会いに行ってほんとよかったな~(T.T)去年るーに伝えたいこと話せたからこそさららに会えたからうれしい前進!さららのアクスタ買うために普段だと寝てる時間まで起きたのもうきうきした!
さららはこれからも幸せにしてくれるんだーって思えてうれしい!そしてじゃむずすきな子すきな曲いっぱいでうれしい♡これからものんびり応援したい。
■あんどて~る大阪
まずは行ってみてほしい(T.T)わたしも推しがプロデュースするというきっかけがなかったら、コンカフェがなんたるかを知ることもなかったのだと思う。でもみんなかわいくておもろくて、おしゃべりするのたのしい!友達とカフェいくみたいにコンカフェを選んでもいいんだね。
それもわたしにとってはあんてる大阪だから楽しめているなあって振り返っていて、これからもわたしのペースで大切にできたらうれしいなと思う。よかったら、推したちとお店のアカウント見てください🙂↕️♡(敬称略)
▶︎プロデューサー:枢木瑠花 https://x.com/_ruka_kururugi?s=21&t=ir7FDcOZAvcEYYr_Ctmo5g
▶︎あんどて~る大阪 https://x.com/andtale_osaka?s=21&t=ir7FDcOZAvcEYYr_Ctmo5ghttps://x.com/andtale_osaka?s=21&t=ir7FDcOZAvcEYYr_Ctmo5ghttps://x.com/andtale_osaka?s=21&t=ir7FDcOZAvcEYYr_Ctmo5g
▶︎キャスト:すゆ https://x.com/antl_suyu?s=21&t=ir7FDcOZAvcEYYr_Ctmo5g
▶︎キャスト:みれ https://x.com/antl_mire?s=21&t=ir7FDcOZAvcEYYr_Ctmo5g
▶︎キャスト:ぬい https://x.com/antl_nui?s=21&t=ir7FDcOZAvcEYYr_Ctmo5g
■峯岸みなみ インスタメンバーシップ
わたしはてつやくんがだいすきなのですが、この狭い余白で語り切れないので浅くしか言えなくてもどかしい。みぃちゃんがてつやくんの愛を受け取って安心している様子を伝えてくれるたびにうれしくて、疑似体験でなんだかこちらまで救われたような気持ちになれるからだいすき夫婦。てつやくんをすきなわたしもみぃちゃんをいとしく思うわたしも、どちらの思いも掬いとってくれるコンテンツ。
みぃちゃんの書く文章もすっと体に馴染んでだいすきだから遅ればせながら入ったのだけど、もう本当に良い。幾度となく純な涙を流した。これからもみぃちゃんをよろしくね、傷付けないでね、てつやくん。
⬆️一貫して大したことを言っていない語彙。
■編み物
通過点のつもりが終着点になったまである趣味。時間を忘れるほど没頭したり、編み物をするために時間を捻出したりもした。気持ちよく時間が溶けていくことがうれしくて、自分のことも大事にできているような感覚でいい趣味と出会えた。
最近あんまりできてないので、生活を脅かさない程度にこれからものんびり続けたい。
■ボクシング
色んな体験行きつつ、今のところに通い始めて約半年続いた。昔のわたしだとそもそも運動が嫌いで体を動かすことを楽しいと思えるような人ではなかったので、毎週楽しい!って心から思えてることに感動する。これからももっと強くなる👊
(番外編)
■バッテリィズ
M-1をいつぶりだろうか?というくらいひさしぶりに見た。わたしはテレビを本当に見ないしそもそも掛かってもないので、今年お誘いがなければ触れてなかったと思うし知らないままの方も多かったと思う。
中でもバッテリィズのエースくんさんとの出会いが本当に清くかわいくてうれしかった。きょへに思ってるようなことを感じたし、世間がそれを声に出していることがあの頃の追体験みたいで報われたような気持ちになった。
人は知識を持っていて、考えることができるから、大なり小なり日常出会う知らないもの・初見のものでもそれらを最大限活かして理解に繋げる生き物なんだよね。だけど世でいうアホって、知識や考える力が乏しかったりして、目の前のことをまっすぐに見て思ったことをそのままに言える。これってわたしたちがヘタに知識を持ち、考えられるからこそ、敢えて言うとその知性が仇となってどんだけ頑張っても辿り着けないものなんだよ。だからそういうことに気付かせてくれる、ピュアなアホの感性がわたしにとってはすごい引力のカルチャーショックで、でも自分にはできないことだから特異で新鮮で心に沁みる。
きょへ相手だと、アイドルという性質上そんなことを言語化される機会ってそう多くなかったり、みんながみんなきょへのそこに目を向けて良いと思うわけではなかったりするけど、喋りやテンポ感、滲む人柄に注目が向く芸人さんだと、大衆がそこに目を向けて言葉にして評価してくれているので、そういう意味で勝手に重ねて報われたように思えた。
エースくんさん、わたしとお誕生日一緒だった!かわいー これ以上でも以下でもないけれど、これからもかわいいひとだなあって覚えておきます。年末に突然の良い出会いでした。
半生の通知表
母は若い頃、バンドとアイドルが好きだったらしい。必ずしも先天的な要因だけとは限らないけど、そんなところまで遺伝するか?と思うくらい綺麗に、姉は(アイドルも好きだけど)バンドが好きで、私はアイドルが好きだ。
推しとか担当とかそんな概念もなかった時代。モーニング娘。が大好きだった幼稚園~小学校低学年、学校へ行こうやごくせんなどの波にも乗りながら最終的に嵐に落ち着いた小学校中学年、中学生以降は担降りもしながら、界隈も広げながら、グラデーションで境目が分からぬままアイドルオタク人生が当たり前の毎日を生きている。
掛けるコストがどんどん増えてくるにつれて考えることも増えるのは当然だけど、それでも心からオタクを辞めたいと思ったことはなかったと思う。「誰かを好きでいること」が楽しくて、そこから得る感情も思考も私にとって必要だったから、後ろめたさを感じる瞬間も本当の意味ではなかったと思うしオタクを手放す理由もきっとなかった。
人の熱量の相場は3年とよく聞くし、自分の担当や推しの変遷を振り返って概ねそんなもんだなと頷く部分もある。もちろん例外もたくさんあって3年を超えて好きなものも多くあるし、基本的に私は好きになったものは形や温度は変われどずっと好きではあることがほとんど(嫌い別れをすることはほぼない)なので、だいたい3年以上好きで居続けてはいる。その性質もありハマったそばから「一生好き」「最後の担当」みたいなことを全然言うタイプなのだけど、裏切ってきた過去も度々ある。それでも私の気持ちの温度感がそもそもそんなものなのだと理解していて、改めようという気持ちはない。
そんな中でも、きょへに関しては本当に人生最後の担当だというのはさすがに事実だ。
きょへより後に新しく好きになった人もいるけれど、どんなに魅力的な人が現れてもきょへ以上に清らかで澄んで柔らかい人ってどこを探してもいないから、かっこいい・かわいい・パフォーマンスが素敵…そんな要素だけでは超えられないし揺らぐものとも認識していない。きょへと出会ってからきょへの人柄を以て様々に変化して踏ん張って生きてきた私というものは、簡単に覆されるような脆さではない。疑うことなく当たり前に私に内在している。
だからこそ、誰を相手にしても心置きなくオタクができているのだと思っている。
私はきょへを好きになって人格が変わったこともそうだけど、きょへにだけではなくその他のものにも好きだとかかわいいだとか、うれしい楽しいさみしい…なんだって素直に感情を表現できるようになったと思えていて、転じてそれを皮切りに色んなものをまっすぐ大事にできるようになったと思っている。きょへ以外の何かを好きでいる時間も、きょへのおかげでこの好きの悦びを知れているのだと感じられるからとびきりうれしい。
そうやって自分がオタクであることも、きょへを好きでいることも、その中でまた新しい出会いがあることも、どれも日常すぎていい意味で変化を特別視することなく過ごしてきた中、今年INIとの出会いがあった。いつもの如く、人は3年で風向きが変わるようでその新しい出会いの一つだと簡単に捉えて楽しんでいたところ、どうやら簡単な話ではないようだ!と日に日に様々な感情・思考を拾っている。
アイドルに限らず、人の数だけ応援の仕方・気持ちの向け方は異なる中で、きょへを好きになって以降の私は顕著に、好きな対象にきっかけをもらって新たな気付きや変化を得ていて、アイドルだけに矢印を向けるのではなくアイドルを好きな自分を通して自分にも矢印を向けることが応援の一部だと感じている。そうしてINIと出会ったあとの日々の中で新鮮に「自分への矢印」が自分にも分かるくらい可視化されている感触があった。
そんな自分になれたのは、前述の通りきょへを好きになった私が色々な刺激の中で生きたこの年月があったからで、その中で私と言う人間が象られていったことの積み重ねなのだと思うのだけど、その「今の私」が遺憾なく発揮される相手がINIであったことに自分で自分に心から感謝をしていて、冒頭話したようにいつの間にかアイドルを好きでいることが当たり前だった私だけど、今INIのオタクをするためにこれまでオタクであり続け色んな緩急を見てきたのだと思えるくらいの必然性を、自分の手で感じられている。
私というものが変わらずただ対象の移り変わりの一つとして出会ったものではなく、私が変わっていく中で今の私に必要な存在としてINIがフィットしたことが本当に奇跡のようにうれしい。
きょへを好きになって頭のネジがいくつかなくなったことに加えてそもそもの老化も起因しているけど、もう何に対してもわざわざ綺麗な言葉で残すことを放棄してきたので、常日頃私の頭の中を話すことのない人からすると、今突然紡がれるこれらがどうしても突拍子もなく、分かるようで分からない機微があるのだと思う。けど、私は大人になってからの毎日は、好きな対象がいるおかげで少しずつ自分が認められる自分になれるように日進月歩生きてきたと思っているから、その一つの通過点というか、通知表みたいなものを「今」に感じている。その通知表を受けて、今までの好きなみんなを思い浮かべて、私に色んな経験や感情を教えてくれて、私にとって強く逞しい人生経験を与えてくれたことを顧みている。
それでもやっぱり、弱く脆かった私を強くする分岐を作ってくれたきょへという存在って凄すぎる。あの日、かわいく目に留まってくれてありがとう。今こうして毎日楽しいわたしになれたのは、きょへがいつも心にいてくれるからだよ。きょへの幸せが一番うれしいからこれからも心から願っているし、きょへがいつもわたしたちの幸せを願ってくれるから、きょへが安心できるくらいわたしも幸せに生きられるように心がけるよ!見ててね!
また通知表を受け取るその日まで、お互い、一緒に頑張れるといいな。
きょへBD 24th
〈お引越し投稿〉
わたしはきょへがみんなから愛されることが何よりの幸せで、きょへが愛されてるって感じるだけで、言葉通りに涙出ちゃうほどうれしくて胸いっぱいになる。
ぽぷものアンコールで髪型を遊ばれたり被り物をしたりして6人からも会場のみんなからもかわいがられ笑顔を向けられみんなの真ん中にいて愛されていた景色を見て、こんないいものを見せてもらえるなんて生きてたらいいことあるんだなって思ってたよ。愛されてるってとっくに知ってたけど、でもこんなにも分かりやすくとびきりの愛を目の当たりにして、わたしは人知れず涙こぼしてた。愛されてるきょへなんて何秒あってもいい、一生続いていて。
千輝くんの公開期間、舞台挨拶も日々の上映も、きょへを一目見ようと時間やお金を割いて来てくれた人が全国にたくさんいて、劇場を埋めている。そんな光景に愛が可視化されすぎていて、ほんとうにうれしかった。足を運ぶ度、きょへにポジティブな気持ちを抱いてくれる人がこんなにたくさん…?って夢みたいだった。わたしはきょへが愛されていることが何よりもうれしいから。
だからきょへが見せてくれたものは、少女漫画原作の作品に出るって夢を叶えたこととか、映画主題歌に選ばれたとか、そういうお仕事としての成果だけじゃないんだよって、届いたらうれしい。愛を見せてくれてありがとう。
きょへがどんどん大きくなっていく姿をグラデーションで見ていたからなかなか気付くタイミングも振り返る余裕もなかったけれど、千輝くんで座長として卒なく引っ張る姿を見て、好きになった頃から想像つかない今が誇らしくてうれしくて好きでいて良かったなあと噛み締めるばかりだったよ。きょへたくさん頑張ったんだね、たくさん経験して成長したんだなあって、当たり前じゃなかったんだったって改めて思った。
前のお仕事で関わった方がきょへの人柄を買ってありのままのきょへにお願いしたいと思ってくれて叶ったことがいくつもあるように、きょへがきょへという人であるからこそ鏡のようにこんな素敵なものと巡り会えたのだなと思うものが山ほどある。だからこれからも何にも流されずにどうかそのままで。それできっとまたきょへらしい何かに繋がってくれるんだって嘘偽りなく信じられるから、そういう活躍とか頑張りを心待ちにしているし、とびきりうれしいから、また一緒に喜ぼう。
きょへBD 23rd
〈お引越し投稿〉
きょへ23歳のお誕生日おめでとう。
わたしが食べたいものを食べたに過ぎないけれど、お誕生日にあやかって美味しいもの食べてお写真並べてたくさん話して、そうした日常を運んでくれるだけでとっても幸せだよ。
これからも毎日よろしくね。
PS
お友達に「きょへを好きになったときのむぎちゃんを知っているからこそ、きょへの成長を見てもうそんなに経った⁉️って時の流れにびっくりしたよ」って言われてめちゃくちゃエモーショナルな別れ際だった…きょへを好きになったときのわたし…もしかしたらきょへよりもかわいいかっこいいひとは今後の人生に居たとしても、きょへよりも澄んでてやさしくて相手のことを淀みなくまっすぐ受け止められるひとはどこにも居ないから、この先もずっといちばんだいすきってのはずっと変わらないし今日もそう思えてることがうれしかったよ~
きょへBD 22nd
〈お引越し投稿〉
きょへがきょへらしく過ごせる一年になりますように。きょへのやりたいと思うことがひとつでも多く叶いますように。きょへにとってかなしいと感じる時間が一秒でも短くなりますように 。きょへがたくさんの愛に包まれてみんなとたくさん笑えますように。
いつもありがとう。きょへだいすきだよ。
きょへBD 21st
〈お引越し投稿〉
たかはしくん、21歳のお誕生日おめでとう。
結局20歳のきょへに会うことは一度もありませんでした。
京セラでみんなと成人式のお祝いをした19歳のきょへ。袴を着てうれしそうにしていて世界中のいとしさが詰まっていた。そのあと20歳のお誕生日を迎え、20歳一発目だと浮かれていたなにわでおかんの収録が無観客になり、両国もなくなり、おうち時間が習慣となり、なにわの日の配信、夏の配信、秋の配信、あけおめの配信…アイドルのたかはしくんを見る機会はあったけれど、かっこよく大人びていくたかはしくんをそのままに感じられる時間はないまま一年が過ぎてしまった。
たかはしくんが20歳を迎える頃、日を重ねるごとに想像していたよりも大人になっていたから、それを理解することも受け入れることもあまり難しいことではなかった。だけど、この一年はきょへが21歳になることを噛み砕く毎日では決してなかった。他人事のように、たかはしくんって次21歳になるんだ、と現実味を帯びない字面をなぞるだけだった。
コロナが言われ始めた頃から段違いに仕事が忙しくなった。責任も増えた。元々ジャニーズのアイドルを好きでいることには体力が必要だと感じているひとだから、余計に体力が削がれそんな余裕がなくなってしまった。手軽に、気軽に摂取できる娯楽ばかりに手が伸びた。たかはしくんが一番の薬だと知りながら、たかはしくんまで手が届かなくて他の薬を時にはオーバードーズして生き延びた。たかはしくんを好きでいる日々の中で一番たかはしくんのことを知らない、考えてない期間だった。
現場のときだけ好きとか、現場だけのために生きるとか、そんな風には思っていなくて、いつだって根底にいるのはきょへで、きょへが好きだから会いに行っていた。けどその機会が奪われると、そうだったのかもしれないと錯覚してしまうような自分になってしまっていてすごく気分が落ちた。でも今は他の薬でしか延命できない…
そんなときになにわの日できょへを見て、太陽の塔の前で歌う僕空を見て、わんわん泣いた。きょへがかっこよくて、ひさしぶりに動く新しいきょへを見て、すごく泣いた。きょへって、すごいんだな。何がどうとかそういうんじゃなくて、きょへって、唯一無二のきょへで、本当にすごい…と圧倒された。薬の効果は永久保証じゃないからわたしはまた色んな薬に手を伸ばしていたけど、「きょへはすごい」という感覚を確かに得たわたしは、夏の配信も秋の配信も、同じくきょへを見た瞬間にものすごい衝撃を受け涙を流した。
それ以来きょへを見ると、とにかくお顔やスタイル、オーラが言い表せないくらいかっこよくて、でもいつだって肩の力が抜けていてかわいくいとしい気持ちで満たされて、そんなきょへを感じられることに感謝して、きょへが楽しいと感じて笑ってくれて居心地がよくて幸せだと感じてくれていたらいいというバカデカ感情に行き着くようになった。言葉を発したかと思うとそんなことしか言えなくなってしまった。
きょへに会えない日々を過ごして、きょへになかなか触れられない日々を過ごして、違う薬も試す日常を過ごして、きょへのことが本当に本当に好きなんだと改めて感じられた一年だった。
わたしは好きじゃなくなることがとても怖かった。コロナの前まで、わたしは永遠に新規ハイが続いているようなテンションできょへのことが好きだったから、落ち着きを見せたことがすなわち興味の薄れだったらどうしよう、触れる時間が減ることで優先順位が落ちたらどうしようと、そんな自分になりたくなくて、でも自分の感情は自分でどうにかできたもんじゃないしと危惧していた。
でもそんなことなくて、より一層わたしにはきょへしかだめなんだと思うことができてすごくすごくあったかい気持ちになれた。わたしはきょへがうれしいとうれしいし、きょへが蔑ろにされると悔しいし、きょへが悲しいと悲しいから、いつでもきょへの幸せを願っているよ。
そう気付けて、縋るようにオーバードーズすることはなくなったように思う。用法用量を守って、楽しめるようになったと思う。
きょへ、この一年はどんな毎日だった?わたしはしんどいことも増えたけど、わたしのすきなひとが楽しそうにしている姿でたくさん救われたよ。きょへがわたしを強くしてくれたから、折れそうなときもポジティブなものに変えて踏ん張れたよ。きょへの日常も仕事の在り方も考え方も、変わってしまった側面がいくつもあるかもしれないけれど、それでもきょへの毎日に楽しさとやりがいがあったらいいなと思う。今までと違うことも、つまらないとか手応えがないとか思わないで居てくれてたらいいなと思う。
20代になったきょへに一日でも早く会える日が来たらいいなあと思っているけど、絶対にお互いが健康で笑えるときにしようね。仕事をしていると大人として一括りになるわたしたちなんだし、楽しいことも苦いこともあるけれどゆっくり一緒に歳を重ねたいね。
素敵な一年になりますように。